2009年12月21日月曜日

Tronto, New York

2006.10.23[Mon]〜2006.11.01[Wed] まで,Canada の Province of Ontario の州都でもある Toronto と,その後米国の New York へ出張に行ってきました.2006年の3回目の海外出張になります.

飛行機は,JL010便で ORD (シカゴ, O’Hare International Airport) まで行き,その後 JL5468 (AA の code share 便) で YYZ (トロント,Toronto Pearson International Airport) という経路になりました.NRT の JAL ラウンジは,改装前の狭い時代で比較的こじんまりしています.このときのサービスは充実していて,荷物は無料で運んでもらえるし (前日までに荷造りしなければならないのでちょっとだけ面倒),お帰り送迎サービスも当時からありました.うっかり申し込みを忘れて,当日だと web 申し込みができずに電話でお願いしてしまいましたが.

日本の航空会社を利用して何が良いかといえば,やはりサービスです.たとえそれがコストを増やして経営が厳しくなるとしても,利用者としては是非維持して欲しいと思います.悪いのは表面的な価格しかみない,自国の企業(産業)に対する愛着の少ない利用者側 (の組織) ではないかと思いますので.
ということで,食事ですが和食を選択すると以下のような感じです.日本酒は宮城県の新澤醸造店の伯楽星 (純米大吟醸) でした.空の上でこんなことはもうできませんが.



ORD では米国入国となるので,一旦預けた鞄も pick up して,乗り換えカウンタで再度預ける必要があります.税関申告を抜けた後に AA のカウンタがありますので,そこで預けます.荷物のタグには最終地の YYZ が書かれているので手続き等は不要です.
ターミナルをトラムで移動 (Terminal 3) し,再度 X線検査を受けて gate 前へ.90ml 以上の水分が持ち込めないので検査場前にはペットボトルの山が置いてありました.いまではすっかり当たり前ですが,規制が厳しくなってきたと感じてきたのはこのあたりからでしょうか.

ORD から YYZ までの飛行時間は 1H と少しですが,時差が 1H あります.トロントは東側でフランス語圏に近いこともあり,表記は英語と仏語の併記となっています.入国審査では米国並みにいろいろ聞かれました.確か以前もそんな感じで北米は結構質問が多い気がします.

空港から ホテル (Hilton Toronto)までタクシーで移動.部屋は以下のような感じで比較的広めでした.部屋からは CN タワーがちょっと見えました.


CN タワーは 2007年まで世界で最も高い建造物 (553.33m) だったそうです.最終日に登ってみました.確かに高いのですが,このくらいの規模になってしまうと感覚がよくわかりません.展望台の SKY POD は2008年に上海に抜かれるまで世界一の高さだったみたいです.展望台は金網ごしですが,外にも出られます.また,床がガラスになった一帯があり,踏み出すまで随分と時間がかかってしまいました.東京タワーにもありますが,ガラスの面積が全然違ってとても広く,高い所が苦手な人にはかなり恐怖なはずです.



2006.10.27[Fri] に AA664便で YYZ (トロント) から LGA (ニューヨーク,ラガーディア) へ移動.朝 8:15 発の便なので,2H 前の 6時台にホテルを出発.既に道は混み始めていたので,もう少し早めの方が良いかもしれません.この時期なので勿論まだ日は上っていません.カナダから米国へ行く場合,カナダの空港 (YYZ) で米国の入国審査があります.なので入国審査の書類は予め用意しておく必要があります.審査を通った後に荷物を預けて (check-in 時には預けられない) 搭乗します.
ニューヨークは LGA (ラガーディア) に到着しました.そういえば JFK から帰国したことはあっても着陸したことは無いような気がします.時間かせぎのためか,陸からマンハッタンをぐるりと回って着陸しました.窓側の席なので摩天楼が良く見えました.



ホテルは Hilton New York です.巨大な一枚岩のようなホテルで,立地も良いので観光客も多くロビーはいつも待ち合わせの人で混雑しています.料金も高くて,特に 911 以降の観光客激減の影響でホテルが減って (住宅バブルの影響もあってマンションなど住居に変わった模様) その影響で供給不足のため値段がつり上がったらしいです (このときで 299USD/night この後さらに高騰した).


New York は前回 に引き続き二回目です.今回は週末を挟んだので,少し歩き回りました.土曜日には雨が降っていましたが,日曜日には晴れました.WTC 跡地とかようやく解放された GE の屋上とか,あとマンハッタンの先頭付近,中華街とかフェリーに乗って自由の女神をみたり.



月曜日に仕事を片付けて,火曜日に JFK から JL005便で帰国しました.帰国は 11/01[Tue] ですが.

2009年9月19日土曜日

Brussels, Belgium

2006年の二度目の海外出張は,2006.06.26[Mon]から2006.07.01[Sat]の4泊6日で Belgim は Brussels でした.
Brussels はEUの本部もある一方で,世界遺産の Grand Place (グランプラス) などがある古い都市です.直通便が無いので今回は LHR (Heathrow Airport) 経由で BA006 → BA398 の乗り換えとなりました.
British Aiways は one world メンバですが,当時もまた今現在もまだ第一ターミナルに留まっています.しかも新しく改装された南ウイングではなく最も古い北ウイングです.JAL 支援の動きをみても経済状態はあまり改善されていないようですから,多分なるべく経費を使いたくないということでしょうか.航空業界はもはや成熟産業ですから,利益体質の改善にもう少し注力した方が良いでしょうね.
第一ターミナルは久々でした.欧州便は時差の関係で大体が午前中に出発します.カウンターが少ないようで,行列になっていました.昔は出国審査のためにエスカレータで下位階に降りて行ったと記憶しているのですが,今は窓側の方の入り口(出口?)から入って一旦X線検査を受けてから左右の階段あるいはエスカレータから下に降りて出国審査になります.ラウンジはそれほど広くないせいか結構混み合っていました.その後,別のラウンジに移った模様です.


BAのC classはちょっと変わっていて,座席が前向きと後ろ向きの交互になっています.足の方が利用する面積が小さいので,交互にすると全体として面積が節約できる,すなわち座席が多くとれる,ということなんでしょう.交互の席でお互いが顔を見合わせないようにカバーもあります.足置きを椅子のように起こして,座席を倒すとほぼフルフラットになります.距離が長いのでなるべく楽なのが良いですが,BAは英国航空だけあって食事はいまいちです (多少偏見もあり).


上記のように,肉をどんと出せば良いだろう,というような姿勢が垣間見えたり.勿論前菜もきちんとあって,こちらはなかなか美味でした.あと,欧米の C class では,搭乗で飛行機に乗ってから動き出すまでにの間に,飲み物を出してくれることが多いです.大体スパークリングワインとか飲んでしまうのですが.

さて,LHR (London Heathrow Airport) ですがあまり良い思い出はありません.これまで乗り換えでしか利用していないのですが,ターミナル間の移動がバスしかないのと,X線検査でいつも行列ができるなどでいつも慌ただしい記憶しかありません.今回も乗り換えが 1.5H ほど空いていたはずなのですが,ターミナルを移動する場合はこれでも厳しいかもしれません (実際は ticket に印字されていた時間が早すぎて余裕だったのですが).



LHR から 1H ほどで Brussels, Belgium に到着.Brussels は EU の本部もある国際都市です.空港の表示も,Exit, Sortie, Uitgang, Ausgang と 4カ国語 (英,仏,蘭,独) で表示されていました.なるほど,国際都市も大変だと思った次第です.
空港からは疲れていることもあり,タクシーで移動.地域柄,ベンツが多かったように思います.

ホテルは,Hilton Brusselsでした.Grand Place などの旧市街の中心部まで何とか歩いていける距離でしたし,朝散歩がてらに EU の本部などへも歩いていきました.高い建物で,部屋からは最高裁判所や旧市街なども見えます.



帰りのブルッセル国際空港はこんな感じ.なぜか飛行機が吊るされていました.あと王室御用達のチョコレートも有名で,現在6社 (Godiva, Galler, Cote d'Or, Mary, Neuhaus, Wittamer) となっているそうです.Godiva は日本でもあまりにも有名なので,お土産に困ったときは時々空港で Neuhaus を買います.が,日本にも既に進出しているんですね.


帰国は行きと同じく BA403 → BA007 と LHR で乗り換えました.BA403 は 1H くらいの飛行にも関わらず食べ物が出ました (class D なので).折角なので食べましたが.

LHR は相変わらずの混雑でした.ターミナルをバスで移動 (Terminal 4 → 1) したりで時間が無かったのでラウンジにも寄らずそのまま搭乗.BA007 の食事は相変わらずボリュームが多く,味付けはラフでした.英国航空ですから仕方がありませんね.



日付を超えて 2006.07.01 に無事成田に到着しました.

2009年7月5日日曜日

Perth, San Francisco

2006.02.24[Fri] から 2006.03.04[Sat] と Australia の Perth と米国の San Francisco へ出張に行ってきました.
現在まで San Francisco はほぼ毎年この時期に訪れるようになりましたが,最初に来たのはこのときが最初でした.日程が重なってしまったのでかなりハードな移動距離でしかもほぼ一人でした.
通常の低価格航空券は,往復がほぼ同じ航路の場合に適用されるようで,今回のように日本→豪州→米国→日本という移動の場合は通常料金となってしまうようです.世界一周 ticket というも存在しているようではありますが.なので最初に会社から出されたプランは日本→豪州→日本→米国→日本という人間を対象にしたとはとても考えられない行程でした.まるで荷物扱いです.こういったものを臆面も無く出せる仕事の姿勢って何だろうとか,結構飛行距離も増えると思うのにそれでも安くなってしまう航空券事情とかアライアンスとか,なかなか考えさせられる出来事でした.
結局は上司と交渉して常識的な行程になり,その結果正規料金となったおかげで行きは C class に upgrade されました.しかも予約の時点から.実はこのときが初めての C class での搭乗でした.最初から upgrade されたので SAKURA Lounge へも行きました.今は正規料金の Y class でも入れるようになっています.以下は,現在のような広くなる前の古い状態のものです.


飛行機は JL771 で座席も一番前でした.先端はコートや荷物置き場になっていて,狭い部分は座席空間として使われない配置だったので実に広々としていました.食事は和食にしたので日本酒と合わせてみましたが,なかなか good でした.飛行機の中なのでそれなりに限界はありますので,過度の期待は禁物です.

Sydney (SYD) からはカンタス航空 QF581 に乗り換えて Perth へ移動です.地図をみて頂ければわかりますが,Sydney から Perth への航路には丁度オーストラリア大陸の南端のへこんだ海岸線を通ります.原始林のような誰も居ない (想像) 海岸線が延々と続く土地をみるにつけ,日本は狭いなぁと感じてしまいます.
以下は Sydney (SYD) の乗り換えの様子.セキュリティが意外に厳しくて結構並んでいました.その下は Sydney の上空,丁度 2000年のオリンピック会場などが見えます.



飛行時間 14時間ほど,乗り換え時間も含めると 17時間ほどかかって西オーストラリア州 (Western Australia) の州都でもある Perth (PER) に着きました.南半球なので勿論夏で,かなり日差しが強かったのを覚えています.オゾン層が薄いせいもあるのかもしれません.





ホテルは Parmelia Hilton Perth でした.オーストラリアドルが少し安かった頃だったかで,意外に安く泊れました.ちょっと高めの部屋にしたら寝室が分かれている広々とした部屋でした.しかし,2泊といえ最終日は飛行機の関係で早朝に出発しなければならず,あまり恩恵は得られませんでした.
Perth の街も少し歩いたのですが,米系のデパートがちらほらあったりちょっと欧風のレトロな感じの建物があったりと,複合的な街,という印象があります.困ったのは夕方 (17:00) 頃にはほとんどのお店が閉まってしまい,人もほとんど居なくなってしまいました.土曜日だったこともありますが,皆さん自宅で家族団欒で過ごす人が多い土地柄なのでしょうか.

2泊して 2006.02.27 には San Francisco へ出発です.早朝 PER から SYD にカンタス航空 (QF574) で移動です.シドニー空港ではワインが大量にありましたが,この当時はそれほど興味が強くは無く,また時間もあまり無かったのでスルーです.SFO へユナイテッド航空 (UA870) へ飛びました.UA も単なる Y class ではなくエコノミープラスというちょっと前後の間隔が広い座席でした.飛行時間が 13時間ちょっとありましたので,とても助かりました.機内食も2回です (2回目は軽食ですが).きちんと航路を確認したわけではないですが,途中ハワイのそばを通って太平洋を斜めに横断するような形で飛んでいたと思います.





San Francisco はこのときが初めてでした.フィッシャーマンズワーフまで歩いていきましたが,確か雨が降り始めた記憶があります.ホテルはおなじみ Intercontinental Mark Hopkins です.Nob Hill の頂上にあり,見晴らしが良いホテルです.若干古めかしいですが中は比較的奇麗に近代的に改装されています.



帰りは,3/3[Fri] SFO 発 JL001 便で普通に Y class でかえりました.

2009年6月19日金曜日

Montreal, Canada

だいぶ間が空いてしまいました.このままでは追いつかないのでもう少しこまめに更新しないといけませんね.
2005.11.07[Mon] - 11.12[Sat] と Canada の Quebec 州 Montreal に行ってきました.Canada は昔にスキーで二度ほど行ったのですが,東側は初めてです (以前は Wistler と Banff).記憶によれば Quebec 州は何度か独立の住民投票をしたくらいフランス系が多い土地柄で,確かに道路標識はほとんどがフランス語と英語の併記になっていました.なかなか新鮮な感じです.


上記は地下鉄の入り口.以前 Paris で見た metro の入り口の看板 (シテ島だったかなぁ) にそっくり.11月の Montreal はとても寒く,雪はまだ積もってはいませんでしたが時々ちらほら降ってくるし,夜はとても寒いです.そのせいか地下道が発達していて主要ポイントへは外に出なくても移動できます.
今回も撮った写真が紛失していて最後の方しか残っていませんでした.以下は旧市街の町並み.ほぼ観光地化されていますが石畳でなかなか趣きがあります.



上記は旧市街の近くにある Notre-Dame Basilica の中です.Paris の Notre-Dame 等に比べて中はそれほど広くありませんが,奇麗にライトアップされていて,なかなかの趣きがあります.当時入場料として 4CAD 必要でしたが,今は 5 CAD になっているようです.

行程は,行きが JL010便で NRT(12:00)→ORD(08:20) へ移動し JL5470(AA) ORD(12:08)→YUL(15:04) で到着.帰りも同様に米国経由で JL5471(AA) YUL(08:05)→ORD(09:33), JL009 ORD(11:30)→NRT(15:45 + 1) です.帰りの出国には注意が必要です.カナダだと思って油断していると,米国経由の便の場合はカナダでの入国審査が必要になります.つまり単なるX線検査くらいだろうと思ってゲート方面に行くと米国の国旗がたっていてそこで入国審査の係官が普通通りに居て,IA-94 の入国カードが必要になります.当然油断していてちょっと脇で書いて提出しましたが.その分,シカゴ (ORD) では国内線と同じ扱いとなり再度の入国審査はもちろん必要ありません.


宿泊は,Delta Centre-Ville というところで,近代的な普通のホテルでした.旧市街まではちょっと歩きます.